「よし、できた。エド」右腕の関節部分を見事にぶっ壊し、やむなくリゼンブールにエルリック兄弟が帰ってきた時には、腕はもう既に再起不能の状態だった。 「新しいのを作るしかないわ」 と、幼馴染の整備士の宣告を受け、錬金術師エドワード・エルリックは、この何ともいえない暇な時間を、独り持て余していた。 「暇だな……」 その声の主は、十五歳とは思えない背の低さとは対比された、長い、目の覚めるような輝きを持つ金髪を後ろで結っていた。また遠くから見てもすぐに目に留まる、ゆったりとした鮮やかな紅いコートを、黒い服の背に纏っている。少年だった。 ある昼下がり。暇そうに、青く晴れ渡った平和な空を見上げた、髪と同じ色の大きな金色の瞳は、今は眠そうに細められていて、わずかに日の光を受けて輝いている。頭の後ろで手を組もうとするが、左手は空を切った。 そうだ、右手は今は無いんだっけ……。 とりあえず、今は我慢するしかない。俺が壊しちまったんだから。エドは心の中で、誰に聞かれるともない独り言を呟いた。 空と同じくらいに青く研ぎ澄まされた風が、エドの長髪をすり抜ける。 ……そのとき。風の中に、聞きなれた、馴染みのある少女の高い声が混じり、優しく耳に入ってきた。それが心地よくて、エドは目を閉じた。再び声が聞こえた。今度ははっきりと聞こえた。 「……エド……治ったわよ……」 エドは、その言葉を理解すると、勢いよく目を開いた。眠りきった心が、風と、それに乗せられた声と共に、一気に晴れ渡っていった。この青い空のように。 遠くから、少女が走ってくる。 そうして滞在が5日に及んだ今日、ようやくその腕は完成したのだ。 「出来たのか?ウィンリィ?」 「ばっちりよ。さっ、早くつけてみて」 少女ウィンリィは、エドに勝るとも劣らない光沢を持つ金色の髪に、よく映える青い大きい瞳を輝かせ、ひらひらと右手でエドを自分のもとに招いた。 この少女は、壊したことを知ると怒るくせに、新しい機械鎧をつけさせる時は至って陽気だ。何をするよりも表情が生き生きしている。本当にすきなのだろうが、変わっているとしか思えない趣味である。 本当に機械オタクだな……。人のことは言えないが。 口には出さずに、今は大人しくそれに従う。早く賢者の石の情報を探しに行きたいし、何より頼んでいるのはこちらの方だからだ。それに、ウィンリィが機械オタクであるからこそ、こうやって腕を直してもらえるのだから、その趣味に感謝しなければならない。 「じゃ、いくわよ」 ウィンリィの気合の入った一言。どこか、弾んでいるような軽い口調だった。 毎度のこととはいえ、この神経を接続する瞬間だけは、今でも慣れることではない。 「おっ……おう」 と、エドの返事が終るのを待つことなく、 ガキンッ!! 激しい金属音を鳴らして、右肩に冷たいメタルの腕がはめられた。 「……うわっ!……ってウィンリィ!お前、人が心の準備するくらい待てよ!」 エドがウィンリィを指差して、真っ赤になって怒る。それがカンにさわったようで、少女も眉を吊り上げて怒る。毎度のパターンだ。 「何よ!私はちゃんと『いくわよ』って言ったでしょ」 きゃんきゃん騒ぎ立てる金髪の子供が二人。 傍で見ていた青銅の甲冑のような鎧に全身を包んだ……というより、その鎧そのものであるアルフォンス・リックは、エドワードの弟だ。が、何も知らない第三者が傍から見て、どっちが兄だ?と聞かれれば、必ずといっていいほど、分かりきった答が帰ってくるであろう。 その図体のでかさは、とても十四歳とは思えない。 アルフォンスは、相変わらずだなぁ、と微笑ましくその子供たちを見ていた。だがいつも盛り上がる口ゲンカも程々に、だ。 「で、どう?今回はちょおっと強度を上げてみたの。それと間接部分をいじって、動きやすくしたつもりなんだけど」 ウィンリィは嬉々として、今は自分の右肩に繋がった腕を持ち上げて説明していく。 本当に、いつも思うのだが。 「……機械オタク」 「何よ!錬金術オタク!」 返す言葉が無かった。 右腕をぐるぐると動かしてみたりして、感覚を調整していく。 「うん、前より動きやすい。ありがとな」 それでも、自分の無理をいつも聞いてくれる幼馴染に、お礼を言わないことはないのだ。 「ホントに!?よおっし。今度はもっと、もっと良いの作ってやるからね!」 ウィンリィは、礼の言葉を聞いて、嬉しそうに頬を緩ませた。そして、右手でガッツポーズを作る。 「って、お前は、壊したら怒るだろうが」 その幸せそうな笑顔を見つめて、エドは突っ込みを入れた。 「当ったり前じゃない!いい?ちゃんと手入れしてよ。はぁあ、心配だわ、私の可愛い機械鎧」 ウィンリィは名残惜しいと言わんばかりに、いとおしそうにエドの右腕をさする。 いくらこの右手に通う神経が、自分のものではないとしても。 その滑らかな、優しい感覚などわかるはずないとしても。 ……勘弁してくれよ。 鈍い幼馴染は、そんな青少年の苦悩を知ることなどはない。 彼女はひたすら、丹精込めて作り上げた自分の傑作を満足そうに眺めているのだ。 今までも、そして……これからも、ずっと、ずっと。 それでも一つ、心の底から救われていることがある。 「……あいつが機械鎧好きで、よかったよ……」 「いきなり何さ、兄さん」 無事新しい腕を得て、エルリック兄弟は駅までの長い道を新しい気持ちで、ひたすら歩いていた。 空を見た。深夜だった。夜空は晴れ、星が見える。昼間とは違う冷たい夜気に満たされ、周囲は水を取り替えたばかりの金魚鉢のように、すがすがしく見えた。 皆眠っている。街も、草木も。ただ、空だけが起きていた。幾千もの星が塗りつぶされたような空の中で瞬いている。 深呼吸して、エドは胸の奥まで夜を吸い込んだ。 今頃この腕の製作者は夢の中だろう。 「いやさ、いつも思うんだ。まあ、行き過ぎのとこもあるけどさ」 ふいに、思い出すことがある。 アルの魂を練成し、何日もの間、生死の境を彷徨って―― そして、霧がかかった意識が覚醒して―― 重たい瞼を上げた時。 『エド……』 今にも泣きそうな、幼馴染の顔。 いや、もう泣いていただろう。 涙は出ていなくても、心の中は、大雨のせいで大洪水のはずだった。 昔からその顔を見るのが嫌だった。 彼女にそんな顔をさせるのがたまらなく、この上も無く嫌だった。 それなのに、自分が今までで一番悲しそうな顔を、あいつにさせた。 そう思ったらやりきれなかった。 「だってきっと、耐えられねぇから」 もしも、この血の通わない腕を、足を。 あいつが眼にするたびに、あんな顔をされていたら。 「耐えられないよ、きっと」 ―― 一つ、心の底から救われていることがある ―― 終わり 展示室に戻る |